人間の認識機能は、本人が認識したと思うよりも前に、自動的な脳内の信号処理が 行われることによって成り立っていて、本人が思っている以上にコントロールできない 傾向を持っています。我々が認識できるのは世界そのものの真実の姿とは程遠い、 脳の神経回路が生み出した幻想にすぎないのかもしれません。
◆ルビンの壺
良く知られているように、黒い部分とベージュの部分のどちらが図でどちらが背景か、 と見たときに 黒い部分を人の横顔のように見れば、ベージュの部分は背景と見えてくるし ベージュの部分を壺のように見れば、黒い部分が背景と見えてきます。
自発的に、どちらか一方を見ようと意識することによって、見え方をコントロールするこ とも可能ですが ここでは、その意識を捨ててみましょう
ぼーっと画面全体を眺めていると、一定の時間ごとに、周期的に見え方が交互に入 れ替わるのがわかると思いますがいかがですか? ある瞬間、壺が見えていると感じたら、しばらくするといつのまにか、人の顔が見えて いる状態へと入れ替わります。 そしてまたしばらくすると壺が見えてくる、、、というように。
これは、自分が意識していなくても、脳の認識機能として、「最も強くカーブしている輪 郭に対して、そこが出っ張っているような図を認識する傾向」があるためだという説が あります。 自分で意識していなくても、自分の視線の中心は常に画面上をランダムに揺れ動い てますから ある瞬間に、人の顔でいうところの、鼻の先端とか、眉毛のあたりのでっぱりのような 部分を中心に視覚情報が処理されると、そこから人の顔が浮かび上がります。 なぜなら、視覚の中心とされた部分は、人の顔という図において、出っ張っているよう に認識できるからです。
逆に、人の顔で見れば引っ込んでいるところ、たとえば眼窩のくぼみのような部分を 中心に情報が処理された場合は、 そこが出っ張っているような図を認識しようとするため、人の顔ではなく、壺の図が浮 かび上がってくるというわけです。
この説の真偽はさておき、ぼーっと意思を持たずに眺めていると 一定の周期で図がころころと入れ替わる様は、まさに脳の自動認識機能の働きを実 感させる体験だといえるでしょう。
◆皮膚兎感覚
たとえば、前腕のどこかに、それなりに距離の空いている 2 点A(たとえば手首に近い あたり)、B(たとえば肘に近い当たり)を定めて 素早くA、A、A、B、B、Bとタップします。(何か細い棒の先端などで軽くつつけばよい)
あまりゆっくりとタップしていると、タップされた本人は、正確にタップされた位置を言い 当てることができますが 0.1 秒程度の間隔で素早くタップすると、タップされた本人の皮膚感覚としては
まるで、AからBに至るまでの直線状に、均等に割り振って、タップした点を一回ずつ移動したように認識されるという現象です。
上の例でいえば、全部で6回タップしているため、AからBまでの距離をおおよそ5等 分した距離の中間点にそれぞれ一回ずつタップした位置が移動していき A ・ ・ ・ ・ B とタップされたように認識されるわけです。
これは、過去に受けたはずの刺激が、脳の中で認識されるスピードよりも速く、B点の 刺激を受けると そこまでの刺激をすべて総合的に処理して、6回分のタップを認識処理していることを 意味しています。 認識スピードを上回る速さで複数の刺激を受けた場合に、人間はそれらの刺激をひとつのセットとして総合的に比較・評価して認識回路へと情報を引き渡しているということです。
これもまた、人の認識を成立させる前に、 脳の信号処理回路がかなり大掛かりな信号の加工・分析を行っており
かつ、それが本人の意識の上では認識できないことを意味しています。
◆意思と行動の順序:ベンジャミン・リベットの実験
聞いたことがある方も多いかもしれませんが、野球でバッターがピッチャーの投げた ボールをうつためには 脳の認識を待ってからバットを振っても到底間に合わないということが知られています。
つまり、ピッチャーが投げた球が、ピッチャーの手を離れたのを認識してからバットを 振っていたのでは ボールが自分の体の前を通り過ぎる前にバットを振ることができないというわけです。 それだけ、目に入った視覚情報を処理して、かつ脳の認識として確定するには時間を 要するというわけです。
ですから、実際にバッターがバットを振り始めた段階では まだ脳の中では、ボールがピッチャーの手から離れたのを認識していないはずです。 バッターは、ピッチャーの投球動作からボールの軌道、速度などを予測してバットを振り始めているはずです。
ところが、バッターの意識としては、ボールの動きをとらえてからバットを振ったと 感じられることもあるそうです。
脳での視覚情報の認識と、行動のために筋肉へと指示を出す決断
その時間的な順序が、誤った順序で認識されてしまうということです。
これと似たような実験もあります。
これは有名なのでご存じの方も多い方思いますが ベンジャミン・リベットによる実験で 被験者の脳波を測定しながら、その被験者に自由なタイミングでボタンを押してもらうという実験です。
被験者の認識では、自分がボタンを押そうと決意したと感じられたのは、実際にボタ ンが押された時点の 200 ミリ秒前でしたが 脳波の示すところではボタンを押すための行動を起こすための脳の働きが、実際に ボタンが押された時点の 500 ミリ秒前に計測されたということです。
つまり、被験者が自分で感じた「ボタンを押そう」という決意(行動の 200 ミリ秒前)は 実際には自分の脳が無意識のうちにくだした決断(行動の 500 ミリ秒前)から、すでに300ミリ秒経過した後であり、それは脳の無意識の働きを、後追いで自分の自由意思だと誤認していることになります。
このように、自分がどのように体を動かすか決断し、実行することも 無意識のバックグラウンドで脳が自動処理を行っており 本人の意識は、それを後から受動的にキャッチして あたかも自分の意志であるかのように、しかも、数百ミリ秒遅れた時点で感じているのです。
◆まとめ
以上の3つの記事を振り返ってみますと
1.ルビンの壺:輪郭線からの物体の認識
2.皮膚兎感覚:皮膚感覚と身体位置感覚の認識
3.ベンジャミン・リベットの実験:行動開始の決断(ゴーサイン)をしたという認識
このような認識において、我々は、自分の意志ではコントロールできない脳の自動処理機能によって加工された現実を感知しているのだということが 確かめられているといえるでしょう。
3番の実験は容易に行うことはできませんが 記事の中で野球の例を挙げたように、スポーツや格闘技などで ゾーンに入るような不思議な状態を体験したことがある人であれば 無意識が意識に先行して体を動かしているというのは納得がいくのではないでしょうか。
2番の実験も、タップのスピードが十分に速くないとうまくいかないため ややむつかしいかもしれませんが、完璧を求めなければ それなりにやってみることはできますので是非試してみてください。
自分の認識能力が脳によって操られている感覚というのは 面白くもあり、また、人間の能力の限界を見せつける、教訓や示唆に富んだ体験でも ありますね。
本日は、東京都世田谷ちゅうしん整体院 村山先生のコラムを紹介いたしました。