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アマテラスとアマテル

 伊勢神宮

 

 

 お伊勢参り、行かれたことはありますか? ご存じ天照大神(あまてらすのおおみかみ)は伊勢神宮・内宮の主祭神であり 天皇家の祖先神とされている神さまです。

この天照大神は、女性神であるということがひとつの際立った特徴です。 しかし、ベースとなった神さまはもともと男性神であるアマテルでした。

どのような経緯で、天照大神はアマテルからつくられたのでしょうか? また、なぜわざわざ男性神を女性神へと変えたのでしょうか? また、なぜ伊勢神宮は時の大和朝廷の近隣ではなく、 南伊勢という土地に建立されたのでしょうか?

この記事では、これらの疑問に対するひとつの答えとして 筑紫申真博士著『アマテラスの誕生』の説をひもといてみます。

◆アマテルは男性神

まずは、アマテルがほんとに男性神であったのか? という疑問に答えておきたいので、それを示す習俗を示します。

アマテラスが成立する以前の時代 太陽神であるアマテルを祀る方法は以下のような考え方に基づいていました。

太陽神が(例えば船に乗って)天から降下し、神聖な山の頂に降り立つ。 その山の木や岩によりついたり、川の水に入るなどして 川を流れ下って山のふもとまで下りてくる。

そこで、流れを下ってくるアマテルを待つために 棚端つ女(たなばたつめ)、あるいは日女(ひるめ)と呼ばれる女性が 流れのほとりに小屋をつくって住まい、カミに着せるための衣服を織り上げながら

生活します。

そして、いよいよカミが下りてくる当日には祭事を行います。 カミが川の水に入って、山を下り、山のふもとの河川に到達します。

このとき棚端つ女は、ある重要な役割を果たします。

それは、自らが水の中に入り、水の中のカミをすくいあげるという神事です。 そして、小屋の中へといざない、自らカミと一夜をともにすごすのです。

棚端つ女とは、このようなカミを迎える一夜妻としての役割を担った巫女なのです。 このように、女性の巫女が一夜妻を務めるのですから アマテルは男性神であると考えられていたことがわかります。

(このような神事のストーリーが、中国における牽牛織姫伝説とよく似ているために 中国から輸入された伝説が、タナバタという名称で受け入れられたのでしょう)

◆各地に残るアマテル(太陽神)信仰のうち、アマテラス のモデルとして採用されたのは南伊勢のアマテル信仰

アマテルは太陽神という意味の一般名詞。各豪族らが、めいめいに祀っていて 太陽そのものを神格化したものであり どこかの一族に固有の祖先神ではなかったと考えられます。

これは、天皇の祖先神として祀られるアマテラスとの 大きな相違点です。

つまり、アマテルという段階では、太陽をつかさどる自然神なのであって 血族のつながりを示す祖先神とはまったく性格を異にしているといえるでしょう。

『延喜式』に記されている、日本各地のアマテルを祀る神社には次のようなものがあり ます。

対馬:阿麻氐留(あまてる)神社 播磨:粒坐(いいぼにます)天照(あまてる)神社 丹波:天照(あまてる)玉命(みたまのみこと)神社 河内:天照大神(あまてるおおかみ)高座(たかくら)神社 大和:鏡作坐(かがみつくりにます)天照御魂(あまてるみたま)神社 大和:他田坐(おさだにます)天照御魂(あまてるみたま)神社 山城:木嶋坐(きじまにます)天照御魂(あまてるみたま)神社 摂津:新屋坐(にいやにます)天照御魂(あまてるみたま)神社

なお、これらの神社の名称のうえで、「天照」をアマテラスと読まずアマテルと読むこと が 妥当であるかどうかは筑紫申真博士『アマテラスの誕生』において検証がなされてい ますので

興味がある方はご一読ください。

このように誰もがめいめいに祀っていたアマテルの中でも 特に南伊勢の土地の「アマテル」が
皇族の祖先神「アマテラス」の原型として 採用されたというのが、筑紫申真博士『アマテラスの誕生』において提唱されている説 です。

逆に言えば、「アマテラス」の原型としてたまたま採用された「アマテル」が、 全国各地に点在するいくつもの「アマテル」のうち たまたま、ある政治上の理由から南伊勢の「アマテル」が採用された。

そのため、南伊勢の「アマテル」の地に 伊勢神宮を建立し、その地の「アマテル」を 新たに天皇のために祀り上げる「アマテラス」へと 塗り替えていったのだと考えられます。

これが 本来、朝廷が置かれていた大和の周辺に神社を設けるのが自然であるのに なぜあえて伊勢という離れた地に設けたのかという疑問に対する

ひとつの答えになります。

◆アマテラスが女性神となったのは、持統天皇がモデル だったから

さて、「アマテル」から「アマテラス」が作り出されたということは 自然神を祖先神へと作り替えたということになりますが その際に、なぜ、男性神であったものをそのまま男性神として 扱わなかったのでしょうか?

筑紫申真博士『アマテラスの誕生』では ここには、伊勢神宮建立当時の天皇であった 持統天皇がアマテラスのモデルとなったからではないか という説が述べられています。

そもそも、アマテラスをはじめとして、古事記、日本書紀に記された神話は 当時の政治状況や、政治的人物が形を変えながらも 色濃く反映されているという考えが述べられています。

ちょうど伊勢神宮の建立がなされた、持統天皇の時代 大和朝廷の勢力拡大に伴い、天皇の権威を強化するための 神話づくりがなされたと考えられます。 すなわち、古事記、日本書紀の編纂です。

このときの神話は、いちから作られたものではなく、 すでに地方豪族が独自にもっていたアマテル神を祀る神話を ベースにして、その内容を改造することで作られたものだというのが 筑紫博士の説です。

このとき、ベースとなる神話を改造していくにあたって

様々な現実の要素が、自然と織り込まれてしまったと 博士は考えています。

なぜならば、このような神話の改造は 一種のトランス状態に入った、「サルメ」と呼ばれる
南伊勢の巫女たちに、
一種の預言のような形で、まだ形をなしていない神話を まるで託されたかのように語らせたことによってなされたと考えているからです。

このような方法をとるならば、 「サルメ」たちにとって、生まれ育った南伊勢の地に伝わる アマテル神話と
現実に今経験している社会情勢などが 無意識化で結合し、それが口をついて物語となって出てくるであろうと想像できます。

◆天"孫"降臨は持統天皇がモデルだったからこその神話

その中で、「アマテラス」のモデルとして持統天皇が色濃く反映されている と思われるポイントがひとつあります。

それは天孫降臨神話です。 なぜ子ではなく孫だったのかということに着目してください。

持統天皇はもともと、天武天皇の皇后であり女性です。 天武天皇のあとをついで天皇となったわけですが、 持統天皇には自分が生んだ息子、草壁皇子 を天皇にしたいという強い願望があったとされています。

ところが草壁皇子は身体虚弱で、天皇して適格ではないと考える人が多かったようです。

そこで、草壁皇子の対抗馬として人望が厚かった大津皇子を謀略により謀反の疑いをかけ自害に追い込み 強引に草壁皇子を天皇の位に即ける状況をつくったとしています。

こうして、本来は持統天皇は自分ではなく草壁皇子を 天皇の位につけるつもりでしたが 周囲の反発が大きかったのでしょうか、それはかなわず 自分自身が天皇の位につくことになったのでした。

振り返ってみると、この時点までは天皇の位の継承は決して、直径の子に伝えれれてきたのではなく 皇族の中で広く適格者を選び出し伝えられてきたものでした。

持統天皇は女としての強さも手伝ってか自分を境に、これからは、直系の子のみに天皇の位を伝えていく という決意表明をしたのではないかと考えられます。

残念ながら、病弱ゆえ草壁皇子は譲位される前に 若くして死んでしまいますが幸いにも、 草壁皇子には子がいました。 珂瑠皇子といいます。

持統天皇にとっては孫にあたります。

持統天皇は、この孫に天皇の位を譲るという強い決意を周囲にしらしめる意味もあって 「天孫降臨」という神話をつくったのではないでしょうか。

つまり、子ではなく孫に位を譲るということを神話の中に盛り込んだのです。

そもそもが神話の中において アマテラスの子であるオシホミミではなく、さらにその子であるニニギを

地上に降臨させたことに必然性はありません。 ここで孫のニニギを選んだというストーリーができたのは

持統天皇が孫に譲位する意思を強く示したことが 反映されたという説が考えられるのではないでしょうか?

そうだとすれば、アマテラスが持統天皇をモデルとしていることの ひとつのあらわれであると考えられます。

そもそもが、古事記、日本書紀の編纂が、持統天皇のおひざ元で行われていたとすれば、
これらに書き記すべき神話を
口承で紡ぎだすサルメにとってみれば 持統天皇が自然と、祖先神であるアマテラスのイメージの源泉となるでしょう。

先にこのようなイメージが型としてサルメの想像力の中に成立していたからこそ 持統天皇の譲位にかける強い意志が
想像力の中のアマテラスの行動に現れ天孫降臨神話として形をなしたといえるでしょう。

◆まとめ

結論としてましては、もともと男性神(しかも自然神)であったアマテルは 天皇の権威を確立するために 天皇の祖先神「アマテラス」として流用されたが

これを主導したのは時の権力者である 持統天皇(女性)であったため自然と天皇の祖先たるアマテラスにも、持統天皇のイメージがダブり 女性神としての性格を与えられたと考えられます。

また、そのようにして成立した神話は

南伊勢を治める豪族が祀っていた「アマテル」をベースに していたため、

アマテラスを祀る伊勢神宮もまた 南伊勢の土地をそのまま利用して建立することになった と考えると、伊勢神宮が大和の地から離れた場所に 建立された理由としても納得ができます。

 
 
 

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本日は、東京都世田谷ちゅうしん整体院 村山先生のコラムを紹介いたしました。