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無意識の知覚

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◆知覚と感覚

 

知覚と感覚の違いって考えたことありますか? と、いきなり言われても、わけわからない方が多いかと思います。

そこで、質問を変えて、もしあなたが、意識を通すことなく、目に見たものを知覚できているとしたら
そんな状況を思い浮かべられますか?

え?なにそれ?超能力か何か? と、思うかもしれませんがそうではありません。

たとえば、目をつぶっていても、何かが見えるとか、そういうことではないのです。 人間が誰しも持っている正常な機能としての話です。

 

◆知覚は、反射行動に似ている

 

たとえば、何か恐ろしいもの、身の危険を感じるものを目にしたとき

たとえば、眼前に突然現れたヘビとか振り向いたらダンプカーが目の前まで迫ってきているとか

そのようなときに、反射的にからだが起こす 避けようとする行動や、恐怖で硬直する反射反応などは おそらく、本人の意識を介さずに起こる反応です。

これは、「反射」と呼ばれる反応全般に言えることですが 一般にこれは、脳の中で意識をつかさどる部分を通過せずに別経路で情報が処理されて、行動へと出力されているとされています。

つまり、脳の内部には、意識にはのぼらないルートを通して 情報を処理し、反応や行動などのアウトプットにつなげる機能があるということです。

実は、このように行動へとつなげるようなルートだけでなく 「知覚する」というルートも、意識にはのぼらないルートがあるのだということを、順を追って説明していきます。

 
 
 

◆知覚と感覚の違い

 

例として、ポストを見たときに、そのポストの色である「赤色」を知覚する ということを挙げてみましょう。

これは、「赤い」という色の知覚ですが、五感にまつわるすべての感覚においても 以下に述べることが応用できるかと思われます。

さて、「ポストが赤い」ことを知覚するとはどういうことかというと 実は、「ポストが赤い」ことを感覚するということとはちょっと違うことかもしれないということが最近の研究で明らかにされています。

なお、ここでの「知覚」「感覚」という言葉の使い分けはあくまでも この記事での便宜上のもので、まだ科学的に正しい用語の使用法が確定されているわけではありませんので、ご了承ください。

この記事では、ニコラス・ハンフリー著『赤を見る 感覚の進化と意識の存在理由』紀伊国屋書店
における用法に随って、「知覚」「感覚」という言葉を用いています。

たとえば、本人が完全に意識を失っているときに 無理やり目を開けさせられて、緑色(!!)のポストを見せられたとします。

本人の意識の中にはそのポストの色に関する情報は入らなかったとしましょう。

意識を取り戻したあとで、この人に、 「実はあなたが意識を失っているときにポストを見せたんだけどその色を覚えてい る?」
ときいたときに、本人は覚えていないというでしょう。 大事なことは、忘れてしまったのではなく、そもそも意識にその情報が入っていないということです。

さて、本人は覚えていないわけですから 「そのポストの色は何色だった?」と聞かれても当惑して答えてくれないでしょう。

しかし、「あてずっぽうでもいいから何色だと思うか答えてみて」 と要求すれば、緑色(!!)と正しい色を答えることができるかもしれません。

このたとえ話の中で、「感覚」とは、意識(自我)としての私が緑色を感じることです。 一方、「知覚」とは、意識としての私が緑色を感じているかどうかにかかわらず、 脳の別の場所でポストの色が何色かを知ることです。

 

 

◆感覚がないのに、知覚できる!という現象を目の当た りにさせてくれる症例

 

今のたとえ話であれば、単なる机上の空論だし これを実験で百パーセント再現するのは技術的に困難だと思います。

ところが、まさにこれを証明するような、脳の機能障害が知られています。

それは「盲視」と呼ばれる症状です。

 

大脳皮質の視覚野にに広範な損傷を受けてしまった人は 当然、自分は目が見えなくなったと感じるし、何も見えていないと信じています。

ところがこのような人に対して、何かを見せる実験を行うと その人は、何も視覚的な感覚はない(感覚できない)と報告しながらも見せられた物の位置や形や色を推測することができた(知覚できている)。 (Lawrence Weiskrantz, Blindsight (Oxford: Clarendon, 1986)

それでも、本人は決して自分が、目が見えているとは信じられないのです。 感覚がないと、知覚したことに自信が持てなかったり、実感できなかったりするのです。

 

 

◆まとめ:我々の知覚と行動は、無意識のルートで働いている

 

思うに、我々が第一印象で、パッと、目にした人の好き嫌いや危険かどうかなどの感覚的なものを受け取るときも おそらくは、意識を通らない別ルートで脳を通過して処理しているのでしょう。

そして、我々は後から、後付けてきな説明によって この人はこういう顔だから好きだ、嫌いだ、信用できる、できないなどというのでしょうが

この後付けの説明は、意識を通った感覚を理由にして説明するため 的が外れている可能性も多々あるし
また、仮にそれが的を射た説明だったとしても それが説明できたところで、第一印象から受けた感覚をコントロールすることはできません。

このような第一印象もそうだし、目で見た視覚情報にしても 常に我々は、自分の意識に感覚が届くのとは別ルートで情報を受け取り、脳で処理しているので

我々が意識するのは常に、脳に情報が届いたのを、後から追いかけて 推測しているに過ぎないということを頭に入れておくべきでしょう。

将棋の棋士が重んじる直観なども、 意識とは別ルートの情報処理といえます。 そう考えると、我々が実際の生活を営む上で意識せずに知覚していることがいかに大きな役割を果たしているのかを私たちは心得ておくべきでしょう。

しかも、それが正しい反応を引き起こす場合もあれば 望ましくない反応を引き起こす場合もある。 そのような意識できない自分をどのように教育していくのかということは、人生を通じての大きな課題であるのかもしれません。

 

 

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本日は、東京都世田谷ちゅうしん整体院 村山先生のコラムを紹介いたしました。