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辛すぎる呼吸法にありがちな間違い

呼吸法

 

 

◆呼吸法

 

インドでは、ヨーガに伝わる呼吸の技法が仏教にも一部取り入れられ 中国に仏教の経典とともに呼吸法も流れ着いて

その呼吸法が中国の道教の影響を受けて、 仏教の修行僧も道教の師から呼吸法の教えを受けたりしています。 つまり、中国では仏教の伝統の中に、道教の呼吸法が混じりこんでかなりややこしいことになっているようです。

日本は、中国から仏教を伝えられた国ですので、 その影響を多分に受けています。

ひょっとしたら現代我々が触れる呼吸法には時として どちらかというと吸うことより、吐く方を強調していることがあるかもしれません。 しかし、その発想は必ずしも万人向けのものではありません。

もしあなたが、過去に呼吸法に取り組まれて あまりの辛さに挫折したという経験があるのであれば それは、吐くことに意識を置きすぎたせいかもしれません。

息を吐くときは長く吐き、息を吸うときは短く吸うという指導を受けたことはありませんか? もし、それがあなたにとって、持続するのが難しいのであれば、あまりそれにこだわる 必要はないかもしれません。

 

◆「呼吸」という単語について

 

もともと、インドでブッダの教えとして伝えられてきた呼吸法は アーナパーナ・サティという経典に残されています。 「アーナパーナ」という言葉が呼吸を意味しているのですが

これはパーリ語のアーナ(息を吸う)とアパーナ(息を吐く)ということなので アーナパーナとは、合わせて「吸い・吐き」となる。 ということは、漢語の「呼吸」とは吸うと吐くの順序が逆になっていることがわかりま す。

中国にこの方法が伝えられ、経典が翻訳されるにあたっては 漢語の「呼吸」に訳されてしまいますが、実は順序が逆だったのですね。

このような語順の違いにより、中国ではいつのまにか吐く息の方を強調されるように なっていきましたが、もともとブッダの教えまでさかのぼると 特に吐く息を強調することもなかったのではないかと考えられます。

 

呼吸法 中国

 

◆吐く息を長くするという伝統のはじまりは中国禅

 

それにしても、息を吐くときは長く吐き、息を吸うときは短く吸うという指導法がありま すが、
これはいったいどこからきた発想なのか、という疑問は残ります。

勇崎賀雄氏はその著書『「阿修羅」の呼吸と身体』にて次のような考えを述べています。

 

<以下、引用>

「数息観」(すそくかん)とは、坐禅をするとき、初級者に指導する「ひとーツー」「ふたーツー」と数をかぞえながら、吸い・吐きを行う呼吸法というよりも初歩的な呼吸調整法である。

「数息観」という数をかぞえる調息法はシャカが生まれる以前から、ヨーガの調息法の ひとつとしてすでに存在した。

それが仏教にも取り入れられ、さらに中国からもたらされたとき、道教の影響を受け (道教のいわゆる「心齋坐忘」の「坐錬功夫」が『坐禅儀』に吸収されている)、 中国坐禅として確立されていった。

坐禅が取り入れた「数息観」、あるいは『天台小止観』に観られる調息法(呼吸法)は、 吐くことを強調するかのように思われることがある。つまり、日本の禅寺で「数息観」を 習うと「ひとー」と吸い、「ツー」と吐くのだが、このとき「吐き」を長めにするように教えら れることが多い。

わたしの理解によれば、「数息観」での吐きの強調という俗説と「入出息」ではなく「出 入息」だという語順に関する誤解のもととなった「経典」は伊豆山格堂らがいう後漢の 安世高訳の『大安般守意経』ではなく、数十年後、西晋の竺法護の訳した『修行道地 経』だと思われる。実際『修行道地経』の中には「数息品」というのがあり、こう書かれ ている。

今當ニ数息ノ法ヲ解説スベシ。何ヲカ数息ト謂イ、何ヲカ謂ッテ般ト為スヤ。出息ヲ安 ト為シ、入息ヲ般ト為ス。息ノ出入ニ随ッテ他念無キヲ、是ヲ数息出入ト謂フ。 『対象新脩大蔵経』の第十五巻経集部ニ、『修行道地経』、「数息品」(原文は漢文)

『修行道地経』では確かに「入出息」ではなく「出入息」となっているが、これはおそらく 中国語(漢字)の慣用法によるものだろう。その先を読んでみると決して吐くことだけ が重要だとも、長く吐くともいっていない。「出息」と「入息」は常に相補的な形で述べら れている。しかも、それ以上に重要なことは(これは『大安般守意経』も同じなのだが) 悟りへ向かうプロセスの中で「数息観」がしっかりと位置付けられていることである。す なわち『修行道地経』ではそれが四段階に分けられており、第一段階が「数息」であ り、次の第二段階が「相隨」、さらにそれに続く第三段階が「止観」で、最後の第四段 階が「還浄」だという。(「大安般守意経」ではこれが、「数息」「相隨」「止」「観」「還」 「浄」という六事いわゆる六妙門に分けられている)

『大安般守意経』においては「数息」「相隨」「止」「観」「還」「浄」という六事をさらに明 確にあくまで上の段階を昇っていくものとして段階的に分けられている。また「相隨」 以上「浄」までは「数息」あるいは「息」という言葉を一切使わずに、むしろ「数息」ある いは呼吸を超えた段階として、例えば、「息を得るも相隨せざれば守意を為さず、相 隨を得るも止せざれば守意を為さず」と説明している。

<引用おわり>

 

・・・坐禅の道場においてはこれまで伝統的に数息観にこだわる指導者が多かったよ うですが、それもただされつつあるようです。

数息観はあくまでも入門の初歩としてなされる方法であり、それはいつまでもこだわっ ているべき段階ではないというのが本来のようです。

 

◆健康法としての呼吸法においても吐くことが強調されてきた

 

呼吸法は修行のために行われてきただけでなく、健康法としても広く注目されてきました。
健康法としての呼吸法の伝統でも、一部で吐くことが強調されてきました。

たとえば、中国の道教に伝わる六字訣など。 これはおそらく、体内にある悪い気を外に吐き出させることが、治療においては重要 だと考えられたからではないでしょうか。

と同時に、病気とまではいえなくても、心身に不調をかかえている人にとっては 修行のための呼吸法に入るための初歩の段階として、 このような、吐くことを強調した方法は、吸うことも容易にするという点で有益だったのかもしれません。

とはいえ、これは最終目標ではなく、あくまでも入り口にすぎません。 また、このような入り口が万人に適しているともいえないはずです。

「数息」「相隨」「止」「観」「還」「浄」 という中での、「数息」のレベルで行う方法の一つとしてこのような、吐くことを強調す る呼吸法がある
という認識のもと 修行者本人の適正にあわせつつも、速やかに「相隨」の段階移行へと進んでいくべき であり 「数息」をひたすら続けることが坐禅の修行だとは思わないように気を付けたいものです。

 

◆バガヴァット・ギーターに説かれる瞑想の呼吸

 

ヒンドゥーの叙事詩『マハーバーラタ』第 6 巻にその一部として収められている、700 行の韻文詩『バガヴァット・ギーター』の一節に 以下のような、瞑想の方法が登場します

外的接触を遠ざけて 目を眉間に集中して 上向と下向の息を均等に 鼻孔の中にとどめ

感官 心 理性を制御し
解脱に専心する者は
欲望 恐怖 忿怒を離れた
人びとといってよいであろう
彼は実に解脱せる者である
(堀田和成著 クリシュナ バガヴァット・ギーター 第
527-28)

上記のように、上向き、つまり吐く息と、下向き、つまり吸う息を中和させるように均等 にすることが説かれています。 やがては、息が鼻孔の中にとどまるようにしていくということです。

日本語版の著者、堀田和成氏は同書の中で これは、昔からヨギーの間でさかんなアシュターンガ・ヨーガという行で、 呼吸法はこの中のプラーナーヤーマという、と述べています。

紀元前 5 世紀頃から紀元前 2 世紀頃と推定される時期に書かれた この書においては、 決して吐く息を強調した内容にはなっていないことに注目するべきでしょう。

やはり、呼吸法の伝統は古くさかのぼれば 出息、入息の両者のどちらかを強調することなく そのバランスを重要視したものと考えてよさそうです。

呼吸法 陰陽

◆まとめ

 

インドのヨーガからはじまり、中国の道教の修行法も入交じり、様々な系譜を経て現在にまで伝えられている呼吸法の数々があるようですが

その途中のどこかの段階で、健康法や禅の初心者の指導法として 吐く息をまず重視する方法が発生したと考えられます。

現在でも、この指導法を重視する指導者もおられるかもしれませんが 最終的な修行の到達点としては、吸う息と吐く息の両者が織りなす陰陽のバランスをとることや、止息こそが目指すべきところで

早いうちに、吐く息ばかりに重点を置く修行法を脱却し その先に進むのがよろしいかと思われます。

言葉においても「呼吸」という表現は、吐く息を吸う息より先に示していますが、

呼吸という単語自体が、中国の言語によって成立しているものであり 他の言語圏では、吸う息・吐く息(アーナパーナなど)という逆の順序で表現されるのがむしろ普通です。

健康法としての呼吸法に終始するのであればまだしも 精神的な修養を最終ていな目標とされているのであれば 是非、吐く息と吸う息の両方をともに重視して取り組んでいただければと思います。

 

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本日は、東京都世田谷ちゅうしん整体院 村山先生のコラムを紹介いたしました。