皆さんこんにちは。
ブログを読んでいただきありがとうございます。
今回は、教育における、自主性の尊重ということについて考えてみたいと思います。
1990年代からテレビが子供の成長に及ぼす悪影響について盛んにいわれるようになりましたが
皆さんの実感としてはいかがですか?
テレビによる良い面、悪い面は実際にあると思います。
中でも、子供の思考能力の発達に与える影響について考えてみたいと思います。
・だらだらと長い時間見続けてしまうことによる害。勉強時が削られる。
・飲酒や喫煙、暴力、性表現、下品な言葉などを目にして、それをカッコいいと感じ真 似したくなる。
・テレビを見る行為は受動的であり、あまり見すぎていると自発性が損なわれる。
以上のうち、今回とりあげたいのは3点目の影響についてです。
1970〜1990 年代の海外の研究で、『セサミストリート』を見た幼児は語彙力や計算力 が上がった、という調査結果があります。確かにこれは一見よさそうなことですが、受動的な学習の結果にすぎません。語彙力や計算力といった限られた能力の向上には役立っていますが、自発的な思考力にはつながらないでしょう。
自分で何を学ぶかを「選ぶ」ということは非常に重要なことです。 自分が何を選んだか、ということが、どのような経験・知識を自分にもたらしてくれたか。
学んだ内容よりも、むしろ自分の行動によって何かを得たという事実こそが、子供の自主性を育てていくのではないでしょうか?
それによって、より行動的で積極的な人間形成が成り立つと考えられます。
受動的体験がもたらす弊害を示す例として、表題に掲げた実験をあげたいと思います。
R.ヘルドと A.ハインによって行われた研究です (図は Held & Hein, Journal of Comparative and Psysiological Psychology, 1963 より)
12週間の間、2つのグループに分けた猫を、それぞれ 1日 3時間だけ、特殊な装置の中に入れました。
この装置では1つ目のグループを「自由なネコ」として、自分が歩くことによって、舞台を回転させ、目に見える景色を動かすことができるようにします。
2つ目のグループは「不自由なネコ」で、自分では身動きがとれず、自由なネコが動かす景色をただ見せられているだけです。いわば、つけっぱなしのテレビを、ただ受動的に見ているような状態です。
このように、一定時間、受動的な景色の変化を見せられた「不自由なネコ」はどうなったかというと、普通のネコが行うような行動をとらなくなったのです。
たとえば、浅い底と深い底があるとき、普通の猫は浅い方に降りることを選ぶのですが、「不自由なネコ」は深い底を避けようとしなくなります。また、抱きかかえてテーブルに近づけると普通は、前足をテーブルに向けてのばすものですが、「不自由なネコ」はそのような行動をとらなくなります。
受動的な視覚情報にさらされることで、このように、行動に対して積極性を失ってしまうということは、驚くべきことです。
学ぶことに関しても、自分が何かの目的や好奇心にしたがって、学びたいものを自ら探して学ぶことと、何を教わるかよくわからずに、ただテレビで放送している内容をそのまま受動的に視聴するのとでは、たとえ短期的にはテレビの方が学習効果が高かったとしても、長期的に見ると、その子供の意欲や行動力、積極性というものを奪う可能性があることに気を付けるべきです。
なお、インターネットの動画の普及によって、自ら、学びたいものを探し、選んで視聴できる、という環境が整ってきたことは歓迎すべきことかもしれません。テレビのように、ただたまたま放送している番組を受動的に見せられるという状況とは大きな違いがあります。インターネット動画による、検索と学びは、テレビがもっている負の側面を解消し、良い面だけを受け継いでいる理想的な教育材料を子供たちにもたらしているのかもしれません。
本日は、東京都世田谷ちゅうしん整体院 村山先生のコラムを紹介いたしました。