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左脳を鍛えすぎると、行動力がダウンする?

作成者: 村山 俊介|May 8, 2020 1:45:00 AM

 

ジュリアン・ジェインズ著 「神々の沈黙」

は、人間の意識が、進化の歴史上のどの時点で誕生したのかを考察した 素晴らしい名著です。

(かなりぶっ飛んでいて面白い)

この本を通じて、今回の記事では、我々の行動力は右脳の強靭さに比例する という仮説をぶち上げてみたいと思います。

結論としては我々の行動力を支えているのは、右脳であって、左脳ではないというわ けです。

あくまでも仮説です。

いわゆる、勉強しすぎで頭でっかちな人(官僚・政治家など?)に限って あーだこーだと理屈をこねて、まったく行動を起こさないということがありますね。

これは、その人の意思決定を左脳が握ってしまっているからだと考えることは できないでしょうか?それが、今回の記事の、いわば問題提起であります。

 

『イーリアス』における神々の時代、人を行動へと駆り立てたの は神の声である

この本の冒頭で、著者は意識誕生以前の人間の思考について知るための 最古の翻訳可能な文献として、名高いホメロスの叙事詩『イーリアス』を題材に挙げています。

この中の登場人物は、現代で言えば統合失調症の患者が幻聴を聞くかのようにして リアルなアポロン、ゼウスなどの神の声を聞くのです。

しかも、聞いた本人は、自分の意志などといったものはまるでないかのように 無反省に無抵抗にその声の命ずるところに従い、戦争をはじめるといったような大胆な行動を起こすのです。

その後、文化的な教育によって我々は意識をもつにいたりますが、 それによって神の声を聴く機会は減ったかのように思われます。

ところが、ここで著者はあることに注目します。

それは、ウェルニッケ野やブローカ野といった言語にまつわる中枢は現代では、脳の主に左半球(いわゆる優位半球)に存在するといわれているわけですが

あるいは、少数派で優位半球が右脳にある人もいますが いずれにしても大抵は、左右どちらか片側にしかできないということです。

たとえば、幼少のころに、もし優位半球を損傷してしまった場合には、 成長の過程の中で、逆が側の半球が言語機能を肩代わりして成長することができます。

大人になってしまってからではこのようなことは難しいですが・・・。

このことを著者は逆説的に、こう捉えなおします。

「何が劣位半球において発語機能が生じるのを妨げているのだろうか? ちょうど、ウェルニッケ野やブローカ野の反対側に位置する領域には

いった何があるのだろうか?(もしそれらが空っぽならば、

そこに発語機能が生じないわけがない)」

というわけです。

 

ご存知でしたか?言語の理解能力だけであれば、実は左右両 半球に存在します

 

ところで、これも現代の科学で確かめられていることですが

言語を理解するのは、左右両方の脳半球で可能なのです。

ただ、発語するための機能だけは、片側だけに集中してしまっているということなのです。

どのように確かめられているかというと

たとえば

「和田テスト」と呼ばれる方法。すなわち、左の頸動脈にアミタールという催眠薬を注 入して左脳を麻痺させても、言葉によって与えられた指示に、被験者は従うことができ ます。これは、マヒしていない右脳だけでも、言語を理解して、行動に移せることを意味しています。

ただし、右脳には発語する能力がないため、この被験者はどんな指示を与えられた かを、言葉で説明することはできません。でも、指示を行動に移すことは右脳の働き だけで可能であることが示されたのです。

また、「交連切断術」といって、かつて癲癇の治療に使われていた、左脳と右脳をつな ぐ神経線維の大部分を切断してしまう手術があります。これを施された人は、左手を動かす命令は右脳からしか出せないはずなので、もし、耳で聞こえた指示に「左手を上げなさい」という指示があったとして、その指示を左脳でしか理解できないのであれば、左脳は左手を上げる能力をもっていないために、左手を上げることができません。

ところが、現実には左手を上げることができることが確かめられています。ということ は、耳で聞こえた「左手を上げなさい」という指示は右脳でも理解ができているという ことです。右脳にも言語を理解するための領域が、ちゃんと存在するのです。

 

右脳はかつて、神が存在する領域だった

 

「交連切断術」によってわかることは、人は左脳と右脳があたかも別人のようにふるま うことができるということです。

たとえば、発語機能をもっている左脳が自分だとしたら、右脳はまるで赤の他人であり、そこから左脳に向けて流れてくる言語信号はあたかも、神から与えられる言葉で あるかのように、リアルで、しかも自分のものではない声のように聞こえる可能性があ るといえます。

 

このような機能が右脳に備わっているために、決して、右脳は左脳を肩代わりするこ となく、独自の機能を維持していると考えることができるかもしれません。

 

左脳の自我が弱かった時代においては、神の声にまったく抗うことなく、行動していたことでしょう。

ところが、論理偏重で勉強しすぎてきてしまった現代の人間というのは、ややもする と、右脳からの指令を左脳があーだこーだと理屈をつけて、はねのけてしまう可能性 があるわけです。

これをやりすぎると、自分で思ったことを行動に移せなくなってしまう、頭でっかち人間が誕生してしまうわけですね。

だから、行動力をもって世の中を生き抜くためには、しっかりと、右脳がもつ力を増強して、たとえ左脳が勉強して色々な知識を蓄えたとしても、言語化できない右脳の決断に逆らうことなく、即座に行動に移せるようになる必要があります。山岡鉄舟のたど りついた、剣禅一如の世界というのも、最終的にはここにあるのだろうと推察されま す。つまり、言語化できる左脳の意識というのは、剣術のような行為、行動の世界にとっては、最終的には邪魔になることで、左脳をまったく介することなく右脳と行動を直 結させることができるようになるのが、最終的な心技体の一致というところになるので はないかと思うわけです。

 

余談:学習において意識は不要どころか邪魔である

 

余談ですが、著者は同書の中で、意識がいかに学習の妨げになるかを示す実例をこ のように挙げておられます。

以下引用

複雑な回転円盤追跡や鏡映描写のような、研究室で実施されるごく平凡な運動技能の試験でも、自分の動きをしっかり意識するように指示された被験者は成績が落ちる。

あまり意識しすぎずに学習すれば、すべてがより円滑に効率よく進む。だが、それも あまり度を過ごすと、タイピングのような複雑な技能の場合には、「the」をいつも「hte」 と打ち間違える世になりかねない。この癖を直すには、プロセスを逆転させ、意識的 に「hte」と打つ練習をすればよい。すると、「習うより慣れろ」ちおう常識に反して、間 違いは消え去る。これが、「負の練習」と呼ばれる現象だ。

これは、驚くべき発想です。間違った技能は、敢えて意識的に繰り返せば、かえって、 その間違いを起こさなくなるということです。これは、私自身は試したことがありませ ん。いつか機会があれば、試してみたいと思っています。

まとめ

ジュリアン・ジェインズ著 「神々の沈黙」を題材に

私の主観も交えて、人間の行動力について考えてみました。

1.行動の根本には、行動の目的を想起させる「言葉」が必要。

2.その言葉は、古代、自我の意識が芽生える以前は、右脳から 不意に発せられる神の声であった。

3.その機能は今でも、我々の右脳(劣位半球)に残っているのかもしれない。

4.ひとつの参考事例として、右脳だけでも、言語を理解し

左脳を介することなく

左半身の行動で表現することができる実験例がある。

 

★というわけなので、私が思いますに

左脳は、右脳から生じた行動への意志のようなものを

理屈で封じ込めて、行動力を抑制してしまう役割が

あるのではないでしょうか。

 

あまり理屈っぽくなりすぎるのも考え物だというのは

こういうところからも分析できるのかもしれません。

 

本日は、東京都世田谷ちゅうしん整体院 村山先生のコラムを紹介いたしました。