「脳の整体」「婦人科整体」「伝統医学」の最新情報を!

我々には自由意思がない

head-自由

 

今回のテーマは・・・

脳には自由意思がない。外部の環境に対して、何を考え、どう行動するかは、熟慮して行っているようでも、実際は反射的に行っている。

自分を正しく評価することも難しい。評価という思考すらも、冷静に的確にはできないのだ。一種の錯覚である。

 反射的に行動し、錯覚によって思考している我々にとって、よりよく生きるにはどうすればいいのだろうか?

我々は、長年積み上げた、経験という名の教育によって正しい脳を育てるしかない。 その瞬間どう反応するかは、すでにそれまでにつくりあげた脳によって決まってしまっているといえる。

というお話です。

 

まずは、我々には、思考や行動の自由がない、脳が勝手にやってしまっているということに関する3つの事実を挙げてみたいと思います。

 

1.動いていないのに、動いたと感じる脳部位

 

 治療家さんなら、一次運動野のことはよくご存じですよね。

有名なペンフィールドのホムンクルスに表現されているあれです。

つまり、ある体の部位を動かすために働く脳領域です。

しかし、実際に動かす前に、動かそうという意図を発動させる場所があることはご存 知ですか?

これも、一次運動野と同じように、電極である脳部位を刺激することにより、動かそう という意図が発生することが実験で確かめられています。

意識があるまま、頭蓋骨に穴をあけて、電極を差し込み、実験しつつ被験者本人に感情を語らせるという、かなり冷や汗ものの実験です。

これによって明らかになったのは、前頭葉に、そこが活動するとある体の部分を動かそうという意図が発動するような領域がるということです。

ここで、意図が発動しても、実際に体は動かされない点に注意しましょう。 一次運動野が活動しなければ、いくら動かそうという意図が生じても、体は動かないのです。

 

ところが、ここからが面白いのですが、この部位をより強く刺激すると、、、、

実際には体が動かないままなのですが、なぜか、本人は体を本当に動かしたと感じてしまうのです。

どんなに、第三者が、体が動いていないことを説明しても、本人は納得できないのだそうです。

 

不思議ですよね。

こう考えると、脳は、動かそうと意図するとこと、実際に動かす実行系、動かしたと感じるところ、これらがバラバラに活動していることがわかります。

いかに我々の認識が頼りないものかと愕然とします。

世の中錯覚だらけだな、と思えてきます。

 

こうなってしまうと、我々は脳の活動によって、意志から感じ方まですべて受動的に受け取っているのであって

我々が自由意思によって脳をコントロールすることは不可能ではないかな、と思ってしまうわけです。

 

2.後知恵バイアス

 

 何か、悪いことが起こった後で、「やっぱり、そうなると思った!」などとしたり顔でいう人がいます。

この感覚は、実は珍しいことではないそうなのです。

何か事件が起こったうえで、それをあたかも、事件前から知っていたかのように、過去の自分の意見を捏造してしまうという現象です。

 

『脳には妙なクセがある』池谷裕二 扶桑社

によると、こんな実験があるそうです。

 

アガサ・クリスティーが生涯何冊の本を書いたかをクイズで出したのです。 平均で 51 冊という答えだったそうです。(普通知らないですよね)

 

正解は 66 冊なのです。

そこで、しばらく時がたってから答えである 66 冊という事実を教え、

「あの時あなたは何冊だと答えましたか?」

ときくと、それにたいする返答の平均は 63 冊に増えてしまったのです。

 

つまり、実際の答えにあわせて、自分の過去の答えを捏造してしまったわけなんですね。

おそらくこれは、意図的なものではなく、そもそも脳にはそのように過去の自分の意見を正しいように

捏造してしまうような仕組みがあるのだということなのです。

 

3.自分は平均より優れていると考える人が半数以上

 

Svenson, O. Are we all less risky and more skilful than our felllow drivers? Acta Psychol., 47:143-148, 1981.

米国のデータ、高校生 100 万人にアンケート。70%が自分の指導力が同級生に比べて平均以上であると感じている。

本来であれば、平均より優れているのは 50%程度であるべきかと思うのですが(平均の正確な概念にもよりますが)

これだけはっきりと、多数派が平均以上と考えているのはおもしろい結果です。

つまり、自分のことを、甘めに評価してしまう傾向が人間にはあるのではないかということなのです。

これは、決して悪いことではありません。人間が積極的に生きていくうえで、このようなバイアスがかかっているほうが有利であるといえるからです。

一種の生存戦略といえます。

ただ、いえることは、脳の判断は正確ではなさそうだということです。 生きていくために、という目的のために、そのような自己評価をすることを無意識のう ちに学んできてしまっているのです。脳が。

 

まとめ

 

このように3つの事実を挙げてみました。

こうしてみると我々の思考や意志や感覚というのは、よくも悪くも、自分ではコントロールできないものであるといえます。

たとえコントロールできているように思えていても、実はそれは後付けである可能性が高いです。

 

だからこそ、我々がよりよく考え、よりよく行動するためには、そのとき、その場で意志を強くもとうとしても、もはや手遅れなわけです。

どうすればよいかといえば、自分の意志を離れて勝手に行動してしまう、この脳という ものを、常によりよく教育し続けることしかできないわけです。

これまでの生きてきた結果が今の脳をつくり、その脳が、勝手に反応して行動してしまうのですから。

仏教にも八正道というものがあります。

正しく行動することが、悟りへの道だというのも、ひとえに脳の教育というものに還元できるのかもしれません。 (じゃあ、どうやったら正しく行動できるのだ、というより突っ込んだ議論もその先にあ りますが・・・)

 

皆さん、日々よい人生を送りましょう!

 

 

本日は、東京都世田谷ちゅうしん整体院 村山先生のコラムを紹介いたしました。